昔の話。京都市内から一路東へ。
渋滞する国道1号線をJ君を後ろに乗っけてSUZUKIのデスペラードに跨っていた。なんで進まへんねんと言って渋滞しているからで、なんで渋滞してんのかって京都市内から東へ抜ける道は国道1号線と三条通りの二本しかないのに走る車が多いからで、なんで車が多いかと言うと京都からベッドタウンへ帰る人が大勢いるからで、そんならそんな帰宅時間帯に国1を選択しなくてもよさそうなものだけれども、仮に三条通を走っても似たようなもんであることは明白で、つまるところ仕方がないのである。
北大路通から国道1号線に入るとすぐに長い登り路で、これを3cm進んでは止まってを繰り返す。デスペラードのでかい図体は見た目通り重く、おまけに後ろにはJ君が鎮座しおる。加えて残暑厳しい夏の終わりであった。私はやり場のない苛立ちを感じていた。誰も悪くないのでどうにも困る類の苛立ちである。若く、阿保な我々は実に詰まらないことを話しながらこのどうにもならない事態をやり過ごそうとしていた。
「飛べたらええのにな。」
「ほんまやな。」
阿保である。確かにバイクはエンジンという名の内燃機関を備えており、アクセルを捻れば雄叫びを上げてグイグイ前進することができる人類史上最高の発明品の一つであることは間違いのない事実であるけれども、どこをどう探してみても翼はなく、よしんば翼がついていたとて飛ぶほどの推力はデスペラードのエンジンにはない。重いし。
ただ、いくら阿呆だからとてそんなことが分かっていないわけではなくて、つまりそんなことを言ってしまうくらい渋滞と暑さに脳みそがやられていたのである。そうでなければやりきれないじゃないか。
ようやっと坂を上り切るとトンネルがあって、ヨル夜中に通るとトンネルの真ん中あたりの天井から何者かが恨めしそうにぶら下がった状態でこちらを見るとか見ないとかいうのであるけども、なぜに天井にぶら下がるのか皆目見当がつかない。しかれども検討が付かないからこそ恐ろしいのであって、恐ろしいものはなかなかどうしておそろしいのであった。幸いにしてもっぱら夜じゃないことと何物をも拒絶する怒りパワーがわずかに手伝って、幽霊何するものぞと押し通り、この調子であれば幽霊であろうが妖怪であろうが負け知らずであると恥ずかしいから声には出さずに思ってみたりしていたらトンネルを抜けて下りに差し掛かった。
そういえばこのJ君はたいそう怖がりで、私に輪をかけても足りないくらいだったから相当で、怖い話をしたら泣いてやめろと非難されたことがあった。
下り始めたくらいからやや流れ始めて、やっとこ解放された気がして阿呆たちは気が緩んだ。
「どうもなかったな。」
「ほんなもんどうもあらへんわ。」
どうもなくて当然である。まだ夕方やんけ。しかもしょちゅう通っとるやないか。今更なにを言うとるのであるかという話である、と言っているとすぐに国1は道なりに右カーブ。
皆目見当がつかないものも恐ろしいけれど、渋滞というものも恐ろしいもので人の心をジワジワと蝕むのであるが、通常、渋滞だけであれば大事には至らない。ここに暑いとか重いとか天気が悪いとか、あとは単に気分が優れないなどという事象が加わると最悪発狂してしまうこともある。幸い私は渋滞と暑さとへんな幽霊の3重苦に苛まれたにもかかわらずその場を脱することができたが、やはり相当精神力を消耗して集中力を欠いていたと見える。
前を走る青いトラックの後輪の間からアスファルトの色ではない何か四角いモノが出てくる。出てくるというか流れてくる。流れてくるというか我々がそれに向かっている。
「なんでみょうちくりんな板が道路のど真ん中に落ちてはんの?」
と思ったときには前輪さんは板に乗っており、板はすべらんでええのにずるずる滑り、すぐ後ろに車がいるから危ないというのに前輪が滑ったバイクはなすすべもなくバランスを失い、バランスを失ったバイクに乗った我々はこれはアカンと思い、アカンと思った我々はコケたのであった。
スピードも出てなかったので怪我もなかったのは良かったが、後ろの車は驚いたことだろうと思う。なにしろ私とJ君が驚いているのであるからきっと間違いない。ハンドルの端とマフラー、タンクに無残な傷跡を付けて呆然自失として立ち尽くす私の道路を隔てた向かい側が現在のデグナーの本社ビルである。
おわり。
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